西表レース参戦記2004年版
出発
いよいよ出発です。
航空便
本当は直通便がベストなのですが一日一便なので取りにくいのです。
そんなわけで少し料金は割高になりますが沖縄経由の便で石垣島に一番早くつける朝9時10分の便を選択しました。
マッサーさんはさすがに大手旅行会社を見方につけだけあって直通便、ローカルさんは最終の便のようで今日中に西表島にたどりずに石垣で一拍1500円の宿に泊まるらしい、、
ちなみにマッサーさんは石垣島最高の全日空ホテル、、社長と所長の差か(ローカル氏談)
さて無事飛行機に搭乗離陸を待つばかり、、
しかし 全く離陸の気配ナシ、、乗り継ぎ便の時間が35分しかないので苛々しているとアナウンスが入る機体の 不具合のため離陸できないそうだ、、
「勘弁してくれよ、、(涙)」結局一時間半遅れで那覇に到着、乗り継ぎ便に乗れなかった。
那覇12時発の便に乗れなかったので13時40分発の便に乗せてもらえないかと航空会社に猛抗議、、天候不順で遅れたならまだしも、このご時世搭乗後の離陸直前のトラブルで遅れたなんて納得できない、、
13時40分に乗れないんならこのまま帰って、慰謝料もらいたいなんて、、いって何とか乗ることができました。これで予定の時間になんとか西表につけそうだ。。
1人なので空港からバス移動する予定が時間がないのでタクシー移動(タクシー代も航空会社に払って欲しいくらいだ、、)
しかし、私しか今日中に西表につく人間はいないので受付すまして艇の梱包ばらさないとローカルさんとマッサーさんに申し訳ない、、
無事連絡船に飛び乗り西表に向かう、、
この連絡船は多分だけど、日本一速い、飛行機ではちょっと気疲れしたがこの船は安心だと思っているといきなり物凄い轟音が、、エンジン回しすぎで爆発したのではと、ちょっと不安になったが、、
どうも船のスクリューに何か絡みついたらしい、、
船長が海に潜りゴミを取り除き再出発、、それにしても今回の旅は艇も人間も移動に一苦労だ、、
やっとのことで西表にたどり着き受付をすませ会場に、、昨年とは少し場所が変わったけどここの方がいい、、会場につくとすぐに「あおちゃん」という声が
振り向くと 見慣れた?怪しい人影が、、相原さんだ、、私達の艇を指さしてくれた、、、
どうも、ちょっと前に片桐さんが運んで会場のラックの上に置いてくれたらしい、、
感謝である。。
早速梱包をほどく、、
すると後ろに人集りが 「おい、、ネロの艇だぜ、、」
「初めてみた、、」 「これは速そう、、」 「優勝候補だ。」
この言葉をきいて ふと私は思った、、
私は普段異常な人たちの異常な艇ばかり見続けていたから感覚がマヒしていたが西表の人にしてみればかなり私のシビルでもかなり異常に見えるらしい、、
優勝候補だなんていわれて、、私の場合何乗ってもビリから数えたほうが速いのに、、
なんかレース出るの嫌になってきたな、、
引き続きローカル氏艇の梱包をあける、、またも驚愕の声が、
地元の人「この艇誰が乗るんですか、、」
私「四日市柳川さんって人ですよ、昨年復路でレンタル艇のチヌークで速かった人ですよ」
と説明すると
地元の人「えっチヌークの人。。それは優勝候補だ、、」
チヌークの人って、、どうもローカルさんは本名より昨年の復路レースのチヌークでの漕ぎの方が有名らしい、、さすが伝説になってるだけある。。
とりあえず初日予定していた作業何とか終わらせ宿に移動、、
今回の宿は会場からは少し遠いけど、施設が綺麗で片桐さんの自宅の隣でもある南の風(ばいぬかじと読む)

宿に入ってシャワーを浴び散歩
星立ての浜はとてもきれいである、、

艇が無事であることを、夜ローカル氏に電話すると、ローカル氏インターネットで予約した一拍1500円の宿がつぶれていたらしく石垣の町をさまよい歩いてるらしい、しかもつぶれた理由が宿の親父が悪いことをして警察に捕まったというのが理由らしい、
しかし40近いおっさんが遠い南の島で手に荷物いっぱいもって寝床を探し歩いてる姿は涙ぐましい、しかしローカルさんなら野宿でも大丈夫だろうと全く心配せずにマッサーさんに電話、、こちらは順調らしい、、さすがお金使ってるだけあるな、、
と思いながら 夜が更けていきます。
店が終わり片桐さんとイトーさんが宿を訪ねてきてくれました。
明日はきっと さきはらさんとローカルさんがぶっちぎりますよ、、
私の予想を2人はあまり信じていなかったようですが、
私自身このとき 私の予想を遥かに上回る展開が待っているとは思わず世が更けていきます。
西表旅行記4へ続く
(Written by あおあお)
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