お待たせしました、いよいよ西表旅行記再開です。前回から随分間が空いてしまいましたが、なにとぞおつき合いの程よろしくお願いします。尚、今回は今までの話とリンクする部分が出てまいりますので、前回までの西表旅行記を読み直してから、読まれる事をお薦めします。
 それでは今回の旅行記の本編である西表旅行記4、始めさせていただきます。

5/24(朝)
 聞き慣れない鳥のさえずりで目が覚めた。外はまだ薄暗い。いよいよレースだ。自然と気合いが入る。それは他の人達も同じだ。マッサー氏にいたっては4時から目が覚めていたらしい。
もっともこの人の場合いつも朝が異常に早いのだが、やっぱり年よ・・・まっそれはよしとしましょう。
 さすがにまだ朝食には早いのでしばらくは部屋でテレビをみていた。現在やっと7:00レース開会式は9:30時間は充分にある。が、はやる気持ちを抑えきれない我々は朝食をすますと、早速着替えて会場へと向かった。
 会場には、すでに人が集まってきていた。「何だ、あれは!?」思わず声に出してしまった。会場に着いて真っ先に目に飛び込んできたそれは、今まで見た事もない”のぼり”だった。
 赤や青の原色で縁取りされた独特の”のぼり”のてっぺんには波や太陽をかたどった飾りが着けられていて、全体的に赤、青、白を基調としたとてもアジアンチックな代物だった。
 島の雰囲気とマッチしていて、どこか東南アジアの島に来ているような錯覚すら覚えた。
 そして、そのかたわら今回のスポンサーだろうか、アウトドアー関係のメーカが出店の準備をしていた。まるで”祭直前”のような雰囲気が会場全体に漂い、否応なくテンションも上がり始めた。
レース前1
注1)南ぬ風に、はためく”のぼり”は異国情緒たっぷり。
写真では細かいところがわからないのが残念。

 

しばらくすると、現地の人も顔負けの真っ黒に日焼けをしたターバンを巻いた怪しいアジア人が現れた。相原氏である。その姿はどっからみてもちょっと愛想のよいテロリストといった感じだった。相原氏いわく南国用の対策らしいのだが、ほんと知り合いでなければ目もあわせらないですって!。

レース前2
ターバン以外にもいろいろ怪しい装備をしてきた相原氏。
「何!この注2)ズルジャケは!」思わずローカル氏がつめよる。

 入水時間も近づき次々と艇が浜辺に並べられていく。珊瑚礁の白い砂浜にずらりとカヤックが並んだ光景は絵になっていた。開会式も終わり後は出艇を待つばかりになっていたが、ここであちらこちらで動きがあった昨日片桐さんのお店にいた大学生たちが、ハルにワックスを塗り始めた。
 ただでさえ、FRP艇と我々のポリ艇ではハンディがあるのにこの本格的な準備は何だ!内地からやってきたものには入賞させまいとの心の表れなのだろうか?
 びっびった自分はローカル氏に「なんか、すごい事してますよ。選手みたいですね。」と言った。
 ところが、ローカル氏開口一番「オレァ、ぜってー負けねー!」
 なんとも頼もしい言葉ではありませんか。
 一般常識人としては・・・だけどシーカヤッカーとしては尊敬するね。
 さてもう一つの動きは西表島のアウトフィッターパピヨンの山元さんが、今朝完成したばかりの自作艇”白鯨”をひっさげて現れた。自作艇といえば、レース艇の概念がある自分は、またまたすごい人が現れたなと思った。一方、ローカル氏はといえば異常に対抗意識を燃やしていた。実はこれには訳があった。
 それは去年の答志島でのレースで還暦を迎えた山本さんという人に負けていたのだった。もちろん、その人とパピヨンの山元さんは何の関係もないのだが、「オレは”ヤマモト”と聞いただけで反応するんだ」と叫んでいた。山元さんもとんだ災難である。

 入水の指示がでるまで待っていると、昨日の彼女達が現れた。今日石垣島に渡るから見には来られないと言っていたのに。どうして? 驚いて聞いてみると、船の時間までまだあるから、スタートだけでも見にきてくれたとの事だった。
 たった一夜の関係なのに(イヤラシイ意味じゃなくて!)こうして見にきてくれるとは嬉しいじゃあありませんか。これには皆も感激し、ますますテンションが上がっていったことは言うまでもないだろう。

 入水の指示がでた。各選手が次々と出艇していく、自分も艇に乗り込みスタートラインまで漕いでいった。今回のレースは上原港から鳩間島までの片道6km程のコースを往路と復路で競い、合計のタイムで順位を着けるものだった。距離としては短いが、いかんせんポリ艇。どうなることやら。
 スタート地点では今や遅しと皆が待ちかまえていた。スタート1分前。緊張が高まるその瞬間
「っしゃー!!」と叫び声が会場中に響き渡った。ローカル氏である。自分たちにとっては、毎度のことなので特に気にもしなかったが、他の選手の人達や観客は一体何がおきたのか理解できずに、目を白黒させていた。仲間だと思われている、こっちが恥ずかしくなった。(後にローカル氏自身もこの時は少し恥ずかしかったと告白している。)
 スタート10秒前!カウントダウンが始まる。緊迫した空気は最高潮に達し、手のひらが何かムズムズしてくる。5、4、3、2、1  スタート!
 合図とともに水しぶきをあげ一斉にカヤックが飛び出していく。と同時に銅鑼(どら)が鳴り響いたジャンジャンとけたたましく鳴らされる銅鑼は、まるで戦国時代の水上合戦を思わせ、背筋がゾクゾクし、鳥肌がたった。こんなに興奮したスタートは初めてだった。
 レース展開としては上手く他のカヤックの間を抜け先頭集団に入ることができた。
前方には予想通り、学生さん達の集団に山元さんの姿があった。しかしいつも見慣れた後姿がない!ローカル氏にマッサー氏である。スタートで出遅れたようだ。やっぱりあの注3)おバカな漕ぎ方ではダメだったのか?こうなったらもう自分がなんとかするしかない。
(今思えばとんだ思い上がりである。)
しばらくして相原氏が視界に入ってきた。なんと自分の方が前にいたのだ、相原氏もファルト艇の調整が上手くいっておらず苦戦しているようだった。しばらく併走していたので今回は氏に着いていこう。そうすれば結構いいとこに入れるかもと思ったが、それは甘かった。ジリジリと差は開き、やがて引き離されてしまった。
 当日の天候はおだやかでほとんど波はなかったが中間地点までくると多少波がでてきた。すると片桐さんが波に乗って横をスーっと抜いていった。なんとか食い下がろうとしたが当時は波に乗る技術も知識もなく、差はあっというまに開いた。こうなってくると精神的にもおれはじめ、ますます疲労がはげしくなる。「くーなんて重たい艇なんだ。」パドルを引く腕がぶれ、水を逃がしはじめているのが自分でもわかった。またウィングパドルなので抵抗も大きく腕がパンパンに張ってきた。そうこうしているうちに学生さんの女子の選手にも抜かれた。さすがにここで引き離されてはなるまいと、ぱんぱんに張った腕を力ずくで引くがジリジリと引き離され、さらにもう1人の女性の選手にもかわされてしまった。
 やがて海面の色が濃いマリンブルーから、水色へと変わった浅くなってきた証拠である。ということはもうすぐゴールだ。よし!なんとかこの選手には着いていくぞ!
(しかしこの綺麗な珊瑚礁をただのラインとしてしか見てない自分て・・・)
気合いを入れ直し全速力で追っかけ何とか引き離されずに鳩間島の海岸にやってきた。
 すると島の方からなにやら聞こえてきた。音楽だ!見るとゴール地点の砂浜にある石積みの堤防の上に特設ステージが設けられていた。そして、その上で4、5人の人達が演奏している。なんと生演奏の音楽だったのだ。
 これに元気づけられ、なんとか浜辺に接岸した。しかしここからが、この大会の特別ルールで砂浜に立ててある旗をつかまないとゴールと認められないのだった。後の選手との距離がわからないので油断しているとここで逆転される危険もある。自分は転がるように艇を降りるとそのままはいつくばってポールをつかんだ。
 ヘトヘトになって砂浜にへたりこんでいると。後から選手が入ってきますから早く艇をどけて下さいと言われた。「マジっすか?」普段でも重たくて引きずるのが精一杯のチヌークを疲労困憊のこの私めにどけろとおっしゃるのですか?思わず叫びたくなったが、仕方がない最後の力もふりしぼった後だったので、生命維持用の力を使ってなんとか艇を砂浜まで引き上げた。
 順位は34名中(女子も含めて)15位。(だったと思う。)ふがいない。
 相原氏は10位、途中猛烈な追い上げをみせたローカル氏も6位と(すべて多分)皆、いつもと勝手がちがい苦戦したようだ。
 ん?マッサー氏は?その疑問はしばらくして砂浜に向かって漕いできたマッサー氏を見て判明した。えっもしかして勝ったの! やったー!条件は同じだから自分が勝ったって事でいいんだよね。
 砂浜で小躍りして喜んでいる自分を見てマッサー氏は「こんなんじゃ漕げんわ!」と文句を言っていた。だったら最初から普通に漕げばいいのに。文句をいっているマッサー氏にローカル氏が近づいてきて、「マッサーさん、最後まであれで漕いだの?」と驚いたように聞いた。どうやらローカル氏は途中でおバカ漕ぎではダメだと判断し背もたれを戻し、普通のポジションで漕いできたらしい。しかし、このときにいったん最後尾まで落ちたというのだから、その追い上げの凄まじさは言うに及ばないだろう。これは復路は荒れるぞ。(事実、自分のこの予想は現実のものとなる。)

 一息つき、あおあおさんを待っていてフッと思った。さっきからゴールする選手を迎えてくれているこのバンドの方たちはいつまで演奏を続けるのだろう?まさかこの炎天下の中すべての選手がゴールするまで続ける気? それって命がけじゃない!いやマジで大げさな話ではない。5月だというのにその日差しの強さは半端ではなく、日向にいたら10分ほどで干物になってしまいそうな熱量なのである。内地組のみんなも大丈夫なのかと心配していた、がさすがは鳩間島出身バンド!とうとう最後の選手まで、演奏しきってしまったではないか。ある意味自分たちよりも過酷なことしてるなーと感心した。

鳩間島1
鳩間島の砂浜に並んだカヤック
ゴール地点には”のぼり”だけではなく鯉のぼりまで並びまさにお祭り騒ぎ!

   鳩間島2
鳩間島で選手達を迎えてくれた鳩間島バンドのみなさん(勝手に命名)
左後方で両手を挙げている人達は踊って歓迎してくれている島のお母さん達です。
本当に島の人たちみんなで歓迎してくれました。

 さて、波乱含みで終わった往路レース。復路はおバカ漕ぎをやめて正攻法でくるロッカー氏にマッサー氏、そして相原氏のファルト艇の調整は間に合うのか!? 何かが起こる復路レース!

西表旅行記5へ続く
<用語説明>
注1)ぱいぬかじと読む。南風の意味らしい。多分。(わかんないなら知ったかぶりすんな!)
注2)ずるいライフジャケットの意。軽さ、涼しさ、動きやすさを追求するあまり本来の機能を全く
   なくしてしまった、ライフジャケット。
注3)立て膝漕ぎをするためにマッサー氏とローカル氏がレース前日に考案した漕ぎ方。
   詳細は西表旅行記2を参照。

(ダッチ)



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