長い間ご愛読いただいた西表旅行記もいよいよ完結です。 それでは、感動の(?)西表旅行記7、始めさせていただきます。
5/24
レースは終わった。皆それぞれ力を出し切って満足な顔をしてお互いの健闘をたたえ合っている。
レース後のこの雰囲気はいつみてもいいものだ。結果に関係なくレースに参加した者だけが
味わえる至極の一時。
さて、関係ないとは言ったもの気になる復路レース結果は一位はタンデム艇の方たちそして
2位は地元の崎原さん、そして3位はなんと、ローカル氏!すごい!レンタルのしかもポリ艇で
FRP艇を蹴散らしてしまうとは。常識人としては”あれ”だがカヤッカーとしてはすごい人だなと
改めて思った。
これには地元の人達も驚きの色を隠せないでいた。特に前回入賞者で今回も上位入賞を狙ってい
た人達にとっては予想外の事だった。そのうちの1人前回優勝者のパピヨンの山元さんは今回も優勝
して航空チケットを手にいれて旅行に行こうと思っていたらしくその落胆ぶりは大きかった。
(ちなみにこの後11月にお会いした時もまだ引きずっていました。)
そしてもう1人昨年、山元さんと優勝争いを演じた崎原さんも例外ではなかった。奄美のレースで6位になったローカル氏を知っていた氏はレース後に会いにみえて
「今日は自艇、持参ですか?」と聞いたらしい。
ところが「いや、レンタル艇ですよ。ほらあれですよ。」と指し示した方をみて愕然としたそうだ。
そこにはあのポリエチレン製の艇が砂浜に横たわっていたのだから。
聞いた話では復路のレースではそんなにタイム差はなかったらしい。
その後結構ショックをうけていたそうですが、お二人とも気にしてはいけません!
山元さんも崎原さんも相当速いです。ただあの人はちょっとおかしいのです。無視して下さい。
他の人達はといいますと、まっさー氏が片桐さんに迫るものの、ついに逃げ切られた
ということだった。
ただ、レース中ピッタリと後ろに着けられてずっと後ろから歌を歌われたり、「おーい、抜いちゃうぞ」
など、プレッシャーをかけ続けられたそうだ。自分もやられた経験があるのでよくわかります。
ホントに嫌ものです。片桐さんもずっと大変だったと言っていた。お気の毒でした。
本土からのカヤッカーがいろんな意味でインパクトを与えた今大会も無事終了し後は、表彰式と
後夜祭を残すだけとなった。
後夜祭は18:00からだったので、一度宿に戻り出直して来ることにした。一風呂あびて、
会場にむかった。快い疲労感と達成感に浸りながら夕暮れの西表島の海岸を歩いていると
なんともいい心もちになった。
やがて会場に着いた。神社の境内のようなその広場にはコンクリート製の小さな舞台があり、
その前にはブルーシートが敷かれていた。そしてそれを取り囲む様に数々の出店がでていた。
人も、もう集まり始めていて活気にみちていた。それは今朝の開会式の祭のような雰囲気ではなく
祭そのものだった。参加者のまだ半分も来ていない状況で島の人たちが集まって盛り上がっている。
この後一体どこまでテンションがあがるんだろうか。そんなことを考えながら、出店で買ったオリオン
ビールとつまみを持ってブルーシートの上に陣取った。
みんなと一杯やっていると、舞台の上に子供たちが並びはじめた、島の三線教室の子共達だと
片桐さんが教えてくれた。小学生1、2年ぐらいの子達が最前列に正座して並び、その後ろのイス
に高学年の子たちが三線を持ってならんだ
どうやら表彰式の前に演奏をしてくれるそうだ。片桐さんもこの三線教室に通っているので
舞台の上の子達とも面識があるらしく(もっとも島に住んでいる人たちはみんな知り合いみたいな
ものらしいが)、最前列の子が片桐さんの顔をみて「何でここにいるの?」
と聞いてくるという一幕もあり、周りの笑いを誘った。その愛くるしい光景についつい顔もゆるむ。他の人達も同じ気持ちのようだ。ローカル氏やマッサー氏も自分の子供をみるような目になっていた。
(マッサー氏の場合は孫かな)
演奏の準備をする子供達。
こんな小さな子達までが大会に
協力してくれるとは本当に感激です。
しばらくして、参加者も揃い後夜祭開会の運びとなり、島の子供達の三線の演奏がはじまった。
曲は「島人ぬ宝」注1)。三線にあわせて、最前列の子共達が元気一杯に声をだして歌いだした。
静かな出だしではじまったその歌はやがてサビの部分にさしかかろうとしていたそのとき会場中に
いた大人たちが一斉に合いの手をいれた。
こっちはいきなりの事でびっくりしたが、子供達はあたりまえの様に歌い上げる。
これはしめし合わせたものではない、自然にこういったやりとりが成立するのだと思った。まさに、会場中の大人も子供も一体となってこの時間を楽しんでいる、そんな空間にいる事に感動した。
しかし何にもまして心打たれたのは、子供達の無邪気な歌声だった。詩の内容とこのシュチュエー
ションが、さらに心を揺さぶり思わず目頭が熱くなった。
一番が終わり間奏に入ったところで、前に座っていたローカル氏がこちらを振り返った。
「ごめん、オレもう泣きそう・・・」
そう言った氏の目には涙が浮かんでいた。
これには深い訳があった。今回この大会に出るために、家族の制止を振り切ってきたと言ったが注2)実はこの3日間に結婚記念日と、娘さんの誕生日があったのだ。
出てくる時も娘さんに「いっちゃうの?」と言われ、後ろ髪を引かれ、いや引き抜かれるような気持ちで来たのだった。歌っている子供たちが娘さんとダブッたらしく耐えられなかったようだ。
正に「鬼の目にも涙」。
何とかローカル氏も大泣きすることなく無事、子供達の演奏は終わった。2曲目に歌ってくれた
「おじー自慢のオリオンビール」注3)はアップテンポな曲で、子供達の演奏が終了したこの時点で会場はかなりテンションが上がっていた。そんな中いよいよ表彰式が始まった。
優勝は往路復路とも1位だったタンデムの方たちだった。そのあと崎原さんたちが続き、ローカル氏は6位(たぶん)だった。やはり往路のおバカ漕ぎが響いた結果となった。
本人は相当悔しがっていたが無理もない、なんせ優勝者は大阪−石垣間のペア航空チケットなのだ!
この大会はまだまだ規模は小さいのだが、とにかく商品がすごい!上位入賞者はもちろんのこと、なんと全員に賞品がもらえるのだ!なんて大盤振る舞い。
自分も19位で島の泡盛「八重泉」をいただいた。個人的には航空チケットの次に欲しいものだったので大満足だった。
表彰式で高々と手を挙げるローカル氏。
まるで優勝者のよう。
むしろ右におられる優勝者の方達の方が、
肩を落としている様にみえるのは、気のせい?
さて表彰式も終わり閉幕?いやいやここからが真骨頂!上がりはじめたテンションはもうどうにも
止まらない!次々に舞台に人が上がる。
まず島の婦人会の人たちのフラダンスが始まった。本土の婦人会がフラダンスと言ったら眉をひそめるが、この南の島にかぎってはなんの違和感もなく受け入れられてしまう。
フラダンスを楽しみながら、酒もすすむ。それは周りの人とて同じこと。会場全体がのんびりとしつつも熱いムードになっていく。
何の違和感も感じない。
これがこの島のもつ雰囲気なのだろうか。
そして本日のスペシャルゲスト。あの鳩間島バンド注4)のみなさんが、海を渡ってわざわざ来てくれたのだった。舞台にあがるや大喝采で迎えられた。
是非もう一度じっくり聞いてみたいと思っていたので、姿を見た時はとても嬉しかった。
そして演奏が始まりしばらくすると、前に出て踊りませんかとお誘いがあった。
こういう時は、相原さんをおいて他にいないだろう本土代表として相原さんを送り出した。
他の人達と一緒になって踊る氏の姿は妙にサマになっていた。
島の人達よりも島人らしい相原さん。
すっかりとけ込んでいました。
そのうち周りの人たちも立ち上がって踊り始めた!それはあっというまに広がり見学者も
そして出店の人もみんな立ち上がり踊り出した。
もうこの雰囲気では踊らない方がおかしい。踊り方なんてわからくたっていいや!勢いだ!
こういう事が苦手なあおあおさんもさすがにこの雰囲気に負けて?一緒に踊り出した。
踏まれてはいけないと、赤ん坊を抱えて踊る人、ミニチュアダックスフントを抱えてて踊る人
店をほっといて踊る人。とにかく会場全体が異常な熱気につつまれる。
しかし、ふと思った。これっていつ終わるんだ?さっきから同じ曲が繰り返し演奏されている
ことに気づいた。演奏が終わっても踊りをやめない。踊りをやめないから演奏がまた始まる。
演奏が始まるからまた踊る。と、まるで無限ループの様に続いていた。この後片桐さんの家に
お邪魔することになっているのだが、いつになったらいけるのだろうか不安になった。
そんな様子を察してか片桐さんが寄ってきて「そろそろ、いきましょうか」と声をかけてきた。
でもこうしてカヤッカーの為に開いてもらった後夜祭の途中で抜け出すのは、気が引けると
言ったら、「こうなったらいつまで経っても終わりませんよ。キリがないから行きましょう」
と言われた。確かに、この状況ではそれが得策だと確信し、片桐邸に向かうことにした。
群衆から離れて客観的に見た会場の様子はまるで、バリ島のバリダンスようだった。
いつまでも踊り続ける群衆。
この島の持つエネルギーを
感じずにはいられない。
自分と、あおあおさん、相原さんは片桐邸へと向かっていた。
(マッサー氏、ローカル氏はとっくに宿に帰って寝ていた。)
道すがら、片桐さんに
「しかし、すごい盛り上がりですね。こんなに歓迎してくれて感動しましたよ。」と言うと
「他に娯楽がないから。とにかく集まって飲む口実をみつけたいんですよ。」と片桐さんは言った。
確かに途中から後夜祭なのか、島のお祭りなのかわからなくなっていたが、自分にとって楽しい一時
には違いなかった。
片桐邸に着いた。それは市営住宅らしいのだがこの地方らしい、鉄筋コンクリートの平屋建てだった。しかし、特筆すべきはその敷地の広さだ。庭には、シーカヤックが積んであるラックがありその前に車のおける充分なスペースが確保されている。カヤックの置き場に苦労している本土のカヤッカーにとっては夢のような住まいだ。
家に上がって一杯やろうという話になったが、時間も遅いし少々気兼ねしながらお宅に上がった。
すると、先客がいるではないか。近所に住むご夫婦らしいのだが、初対面の我々を見ても、当たり前のように招きいれてくれた。聞けばこうして集まって酒を酌み交わすことは日常的な事だそうだ。
まして今日は本土からやってきたカヤッカーがいるということで楽しみにしてくれていたようだった。
カヤック談義にはじまり、そのうち島の話になっていった。
来るときに乗った船がものすごいパワフル注5)だったと言ったら。
「ああ、A観光ね。あそこは無茶するからね。有名だよ」と口を揃えて言われた。
なんでも石垣、西表間を行き来している観光会社はA観光とY観光の2社あって、お互いにスピードを競いあっているという事だった。
だから新聞の時刻表には船名、乗員数の他に最高速、馬力、さらには"どこ"製エンジン何機搭載
などと、おおよそ一般人には必要のないスペックまで書かれているのだそうだ。
そして、島の人達も遅いと、もっとスピード上げるように文句を言うらしく、この観光船のスピード争いは熾烈をきわめた。
特にA観光の方は地元密着の会社でもともとこの辺りの漁師だった人が舵をとっていて
腕はいいのだが、運転は荒く、人を荷物程度にしか考えていないと言うのだ。
そのかわり欠航することはまずなくY観光が欠航した時でも出航し中で人が飛び跳ねようが気にせず、無事?たどり着くのだそうだ。
島の人たちも慣れたもので、むしろ速い事のほうが重要な要素になっているらしかった。
かくして10年前は2時間近くかかった石垣、西表間も今や40分そこそこになったのである。
夜もかなり更けてきたのでそろそろ、おいとまする事にした。
いろいろな楽しい話を聞かせてもらえて本当に楽しい時間だった。お礼に今度「赤福」を送ること
を約束してお開きになった。(こちらでは和菓子などが入手困難なのだそうだ。)
5/25
今日は船の時間まで前の珊瑚礁で遊ぶことにした。宿でカヤックを借りて海へと漕ぎだした。
折角来たんだから、この珊瑚礁をたのしまなきゃね!レースだけでは悲しすぎる。
その海は海底まで透き通っていてカヤックの上からでも珊瑚礁や熱帯魚を見ることができた。
きてよかったと感動していたのもつかの間、事態は急変した。あれだけ晴れ渡っていた空がにわかに
曇りだし雨が降ってきたのだ。止む気配もないので仕方なく宿へ引き返した。
しばらくどうするか、考えていたがする事もないので石垣島に渡って買い物でもする事にした。
帰りもまた、あの人のいいご主人が港まで送ってくれた。
「船は大丈夫ですかね?」との質問に対し
「欠航することはまずないですよ。」との返事。やっぱり昨日の話は本当だったんだ!
妙に嬉しくなり、荒れる海にでるのが楽しみになった。
そして、我々はA観光の船に乗り込むと名残惜しくも西表島を後にしたのだった。
道中、うねる波間をバウンドしながら疾走する船にローカル氏、マッサー氏が狂喜乱舞したことは言うまでもないだろう。
西表島に来る前までに抱いていたイメージは美しい珊瑚礁の島、そして素朴な人たちが細々と暮らしているというものだったが、それは自分の思いこみだったことがわかった。
確かに、珊瑚礁の海は綺麗で、手つかずの自然が残るこの島は素晴らしい。
しかし、それ以上にこの島で暮らしている人たちのなんと魅力的なことだろう。
とんでもない話や冗談みたいな事がこの島にはそこら中にある。本土の過疎化の進む地方のような
雰囲気は感じられない。むしろ都会にすんでいる人たちよりもずっと活気に満ちている。
実際、東京、大阪などから若い人たちがこの島に移り住んだりしている。
街に住んでいる自分達には想像できない苦労もあるだろうし、たった3日で知ったふうな事
を言うべきではないのかもしれないが、少なくとも今回会った人達には皆、活気があった。
これは自分の勝手な解釈になるので恐縮だが、都会の枠には収まりきれなかった人達をも
受け入れる懐の深さと魅力がこの島にはある、今回この島を訪れてそんな気がした。
そして自分もまた、この島にとりつかれた1人であり、きっとこの先何度もこの島を訪れることになるだろう。
最後にワガママを言わせてもらいます、願わくば、いつまでもこの最高の環境を維持して
欲しいです。そして、この先もずっと綺麗な海を漕いでみたい。
西表旅行記 完
<用語説明>
注1)石垣島出身のグループ「ビギン」の唄
注2)西表旅行記1冒頭部分参照。
注3)「ビギン」の唄でオリオンビールのCMソング。
注4)勝手に命名してしまいましたが、加治工 勇さんという
鳩間島出身で現在も鳩間島で音楽活動をされている方です。
アルバム「イダ舟」好評発売中!
注5)西表旅行記1参照
(ダッチ)
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